【フィギュア】真央がトリノに出ていたら間違いなく「金」城田元強化部長が激白 

10日に引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=。
98年長野から06年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた城田憲子氏(70)=ANA監督=が
強烈な出会いの印象を明かし「トリノ五輪に出ていたら金メダルだった」と語った。

荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも真央ちゃんが15歳で出場していたら―。
間違いなく金メダルを取っていたと今でも思っている。
トリプルアクセルを跳べればという前提になるけど、真央ちゃんは、おそらく満点近い点数をジャッジから与えられる要素を持っていた。
氷上での美しさであり、ジャンプのダイナミックさ、そして演技力。
トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった【注1】。

初めて会ったのが彼女が8歳のとき。
これは私の長い強化の人生でも永遠の思い出。夏の長野・野辺山での有望新人合宿に山田満知子コーチが姉の舞さんと一緒に連れてきた。
一言も二言も注文の多い山田先生が「すごいのよ」と言う。
基礎を教えるのがうまい門奈(裕子)コーチの指導を経ての来訪とも聞いていたけど、ひと目見た瞬間、滑りすら見てないのに
「この子は将来、必ず世界チャンピオン、五輪で金メダルを取るな」と直感した。
エレガントさがあり、何といってもキュート。これって理屈じゃない。
合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、私の独断で、ルールを取っ払って入れた。

フィギュアスケーターの育成は、花を咲かせることに似ている。
水をやりすぎると根腐れしちゃうし、日に当てなければ育ちが遅くなる。
02年全日本選手権は出場資格の年齢の壁をなくし、若年層にも幅広く門戸を広げた。
当時小学6年生、12歳だった真央ちゃんはトリプルアクセルは跳ばなかったけど、3―3―3回転を降りて7位。
ジャンプに確実性があり、ぶれない軸の強さがあった。
戦うことにちゅうちょしない子だったけど、全日本に出す前の経験と考え、海外のノービス(ジュニアの下のクラス)の大会に出した。
頼み込んで出させてもらった大会で、いつも真央ちゃんが表彰台の真ん中だから、欧州のジャッジたちに「ミセス・シロタ! メダル泥棒だよ」と言われたこともあったかな(笑い)。

荒川ら世代との交代後、最高のライバル安藤美姫らと黄金世代を築き、フィギュア界に多くの恩恵をもたらしてくれた【注2】。
広いアリーナでジャッジ、多くの観衆を魅了する演技をするフィギュアスケートは、類いまれなる能力がないとできない。
そのトップを突っ走って時代を築いた浅田真央には、今度は1人の社会人として、もう一つの大きな花を咲かせてほしい。

【注1】06年トリノ五輪の出場資格で、前年7月1日時点で15歳の条件があったが、
真央は15歳の誕生日が9月25日で、条件を満たすには87日足りなかった。

【注2】浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。
シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。

 ◆城田 憲子(しろた・のりこ)1946年、東京都生まれ。70歳。立大卒。
選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、ダンス部門全日本選手権2連覇。
引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、98年長野五輪から、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた。
国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪などの国際試合でレフェリー、ジャッジも務める。現在は羽生結弦が所属するANAの監督。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170411-00000268-sph-spo
スポーツ報知 4/12(水) 5:04配信 http://tabwekia.xyz/