サッカー元日本代表・中田英寿氏は、いま日本酒に本気で向きあっている。2006年、29歳で現役を引退。2009年には沖縄の波照間島から日本全国を巡る旅をスタートし、6年半かけて北海道・宗谷岬までたどり着いた。
「各都道府県、短いところで1週間、長いときは何度も足を運んで1か月以上かけてまわりました。観光地を巡るというよりは、農業や食、伝統工芸、伝統芸能などに携わる人々に出会うための旅です。そこでたくさんの人や文化に触れあい、あらためて日本の魅力を感じたんです」(中田氏・以下同)
6年半の間で旅に費やしたのは、のべ500日以上。1台の車で約10万kmを走り、2000か所以上を訪問し、1万人以上に出会った。その旅の中でとりわけ彼の心を惹きつけたのが、日本酒だったのだ。
現役を引退してから11年間、定住する家を持ったことはない。東京から海外、そして国内の地方と飛び回る生活に家は必要ない。旅人が羽根を休めるのは、ホテルか旅館、もしくは飛行機の機内だけだ。そんな旅人生のなかでも、時間さえあれば酒蔵を訪ねている。
2月初旬、中田氏の九州の酒蔵巡りに同行した。
「この華やかな香りは、あの酵母を使っているからなんですね」
「使っているのは硬水ですね。この酒米だと溶けにくいんじゃないですか?」
どの酒蔵でも最初は、「あの中田英寿が来た!」とお客様扱いされるが、蔵を見学しながら専門的かつ鋭い指摘や質問を続けているうちに、どんどんプロ同士の日本酒談義が盛り上がっていく。出された酒は残さず飲み、地元の肴とともに楽しむ。そして「美味しい」と思ったとき、最後に声をかける。
「今度、日本酒のイベントをやるんです。ぜひ参加していただけませんか?」
中田氏は、昨年から、日本全国の銘酒が一同に揃うイベント『クラフト サケ ウィーク』(東京・六本木)を開催している。日本酒への愛情を肌で感じた蔵人たちは、皆喜んでイベントへの参加を約束する。古伊万里酒造の前田悟専務も中田氏の情熱にほだされたひとりだ。
「酒蔵にいらした時は驚きましたが、中田さんに声をかけてもらったのは本当に光栄です。これまで業界内でがんばってきたつもりでしたが、販路の開拓などでどうしても限界を感じていました。中田さんのように世界を知る人に日本酒業界を引っ張っていってもらえるなら、協力は惜しみなくさせてもらうつもりです」(前田専務)
こうして全国の148蔵が『クラフト サケ ウィーク』に集結するのだ。
3月21日、初の地方開催となった『クラフト サケ ウィーク 博多』の初日、午後12時のスタート時点では、あいにく冷たい雨が降っていた。博多駅前に設置された会場は、大きな屋根があるとはいえ、寒さはいかんともしがたい。連休明けの平日の昼間、集客に苦労するのではないかと誰もが心配した。
だが、間もなく中田氏が会場に現れると、それを待っていたかのように雨が止み、雲間から陽射しが照りこんできた。
「僕、晴れ男なんですよ」
そういって笑顔を見せると、酒蔵と料理店の出店を1軒ずつ訪ね、丁寧に挨拶をしてまわる。各酒蔵が提供する酒は3種類ほど。それを1杯ずつすべて飲み、楽しそうに語り合う。
中田氏の登場とともに増え続けた客も、最初は彼の姿を目で追っているが、いつの間にかそれぞれが酒宴を楽しんでいる。夕方以降は着席、立ち席ともに満席の賑わいとなった。
中田氏は途中休憩を挟んだものの、イベントが開催されている時間帯はほぼ会場内にいて、地元メディアの取材に応じつつ、プロデューサーとして全体に目を配っていた。
「プロとしてやるからには、自覚もあるし、責任も感じています。とはいえ、まだ日本酒業界では新人のようなもの。すべてが簡単にいくとは思っていません。10年、20年、もっとかかるかもしれませんが、じっくり腰を据えて取り組んでいきたい。
この『クラフト サケ ウィーク』を全国各地で開きたいですし、いずれはワインのように世界中の人が日本酒を楽しむようになればいいですね」
中田氏の本気は伝わってきた。彼が言う“日本酒のポテンシャル”も理解できたような気がする。だが、その本気を感じれば感じるほど、別の思いが湧いてくるのも事実だ。
つづく
2017年4月9日 7時0分 NEWSポストセブン
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